[hikaliのゲーム論](12)  ゲーム≒ルール≒法律≒抽象化の仕方 物語解析解説(後編part8)


 こんばんわ! 管理人のhikaliです!
 なんか、どうやっても終わらなそうな状況に突入しているのですが、袋小路に入りまくっているのですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 さて、前回は大幅に横道にそれ、そこから活躍の話になると書いたはずなのですが、ん・・・、なんか表題が大幅に違っている話題に行こうとしていますね・・・。
 コレハナニ???
 えええええ、えーと、非常に言い難いのですが、どうも予定を変更したほうがよさそうだと思うに至ったのです。
 たぶん、活躍の話から入るよりも、hikaliのゲーム論の全体像をまずお見せして、その全体像から重要と思われる部分を適せん説明したほうが、たぶんわかりやすいだろうと、思うに至ったのです。
 つまり、これまで周辺の問題からじわじわと核に迫ろうと思っていたのですが、このやり方は間違いだ、それよりも核からやろうと、180度方針転換したほうがよいと思ったのです。
 ぶっちゃけ、ちゃぶ台返しでスミマセン・・・、となるのですが、コアから入ったほうがいいに決まってるだろバカモン! という事に気づいたわけです。
 行き当たりばったりの見本のような状況ですが、まあ、いかにもそれはわたしらしいので、まあ、わたしが書けばこうなるよねと言い訳しつつ、先を続けましょう。
 わかりやすく説明します。


 ■なんで、みんなは世界を抽象化したのだろう?

 物語解析は、2つの理論体系からなっていて、

 状況の構造を示す、静の物語解析 = シナリオ と、
 情報の操作を通じて物語を動かす、動の物語解析 = マスタリング

 の2つに別れると、たぶん書いてきたと思います。
 しかし、これらの理論はTRPGやPBMといったアナログRPGを前提としていたので、すっぽりと抜け落ちている部分があります。
 それはルールです。

 一般的にアナログRPGにはルールブックがあり、それに基づいて行動が成功したか、失敗したかを判定します。それはなぜでしょう? それが今回の話を通して明らかにしてしまいたいことなのです。これは、なぜ歴史上人類は法律という方法を使って、状況を抽象化しなければならなかったのか、という疑問への答えとなります。
 さらりと書いてますが、あまり読んだことのない話です。

 難しい地点です。
 むずかしいのですが、TRPG(つまりルール)と物語解析(つまりシナリオ)の関係から、じつはその答えが見えてくるのです。

 物語解析の諸理論が生まれた当時に考えていたことはこうでした。

 ・TRPGはゲームである。
 ・だから、プレイヤーの意思は尊重しなければならない。
 ・マスターの都合でこっちへ行ってもらわないと困る、ではダメ。
 ・ストーリーがあるということはストーリーを押し付けること。
 ・ストーリーのないシナリオってなんだ?

 また同時にシナリオをどう書けばいいか、も考えていました。

 ・物語に必要な、最もシンプルな構成要素ってなんなのだろう?
 ・何が記載されていれば、セッションが運営できるのだろう?

 ここから静の物語解析の原則、つまりシナリオの構成要素が出てくるのですが、その出てきた過程を説明すると、思いっきり脇道にそれるので結論だけ言ってしまえば、

 「ジェイクスピアの残した作品」=「台本」にはそれしか登場しなかった

 ということになります。
 つまり、人物、舞台、道具、そして決まり事(法律など)しか、シェイクスピアの台本には書かれていなかったのです。世界最高峰の文学は台本なのです。
 それで、その4つの構成要素と、その関係だけに着目して物語を読み解く、物語解析理論が誕生するのです。

 しかし後に、このわたしがした物語の分解は、じつはファミコンゲームなどの分解の仕方と全く同じということが分かって来ました。
 例を挙げてみましょう。



 まずはチャレンジャー。
 お姫様を助ける物語ですが、
 主人公・敵=人物、
 特急列車など=舞台、
 武器のナイフなど=道具、
 様々なルールや隠れアイテム=決まり事、
 と書いてみると、おお、なるほど、プレイヤーは自由に動けるし、プレイヤーの行動を強制するストーリーはあまりないと気づくでしょう。
 次へ行ってみましょう。



 つづいて、Dungeons & Dragons SOM。
 若干ストーリーらしきものがありつつも、プレイヤーは自由に動いています。
 特に村に行ってから、縛られている村人を助けずに立ち去ってしまっているシーンがあったりと、別に必要なければ助けなくてもいい、という状況になっているのがわかるでしょうか。えーとこれは、プレイヤーの自由だと言っているのです。
 それは保証されている。
 そして、やっぱりあるのは人物、舞台、道具、決まり事です。
 もう少し高度になるとどうでしょうか。

 

 ダークソウルですが、非常に分かり易い動画です。
 非常に自由度が増しています。

 これらの映像を見てわたしが思うのは、これらはやっていることが同じであるということです。
 自分がいて、敵がいて、舞台があって、アイテムがあって、それでハック・アンド・スラッシュをしていくことによって、話が進んでいく。ハック・アンド・スラッシュのやり方は変わるのですが、本質は変わっていません。
 これはD&D型であると書いてしまうのは簡単なのですが、すこし難しい部分があります。
 ヒットポイントです。
 体力という事もあります。
 しかし、ヒットポイントが0になるとゲームオーバー、つまり死んでしまいますので、体力というよりは、んー、いい言葉が浮かばないのですが、死までの距離とでもいうのが適当かもしれません。

 このようにヒットポイントという言葉自体が難しいのですが、これは一種の発明です。
 しかし、ロジカルに考えてみれば、このヒットポイント言うのはおかしいのです。
 普通に考えれば、剣で斬られれば血が出ます。
 もしかしたら、骨折するかもしれないですし、内臓が損傷するかも知れません。傷口が開いているのであれば、ダメージをそれ以上受けなくても、出血により大量出血死するはずです。
 だいたい、ヒットポイントの残りが1というのは、ほんのすこしでもダメージを受ければ死ぬのですから、戦えるという状態にあるとは思えない。
 このように考えるのはたいへんにへりくつ屋であるように見えるほど、ヒットポイントという概念は広く浸透してしまった概念なのですが(^_^; 実のところ、こう「死までの距離」を「ヒットポイント」という概念を使って、抽象化した方がルールが簡単になるから、なのです。
 おっと、ルールが出てきました。

 通常、TRPGでは、

 ・ロングソードで攻撃した場合で、攻撃あたった場合のダメージは2d6+2(6面サイコロを2つ振って、その合計値に2を足した数。例えば3と4が出れば、3+4+2でダメージは9)

 ・攻撃を受けた側の装備しているプレートメイルは装甲値が6なので、先ほどの9から6を引いて、受けたダメージは3。

 ・攻撃を受けた側はヒットポイントを3減らす。

 といったようなルールで戦闘をおこないます。
 しかし、へりくつな理屈が出てくると、そんなのおかしい、プレートメイルは、腕には装甲がないはずだ。今の攻撃は腕にあたったかもしれないじゃないか、となります。
 実のところ、部位別に装甲値などを決めるルールもあるのですが(ルーンクエストなど)、さらにへりくつを言えば、そんなのおかしい、腕といっても上腕にあたった場合と、手首にあたった場合ではダメージが違うはずだ。おれは、あいつの利き手の手首を狙ったんだ。あいつはもう剣を持てないはずだ!
 はいはい、ルール化できそうにないですね(^_^;
 もちろん、ルール化をしようと思えば、理論的には徹底的に細かくルールを作ることができるはずです。ですが、そんな複雑なルールを誰が隅から隅まで読んで、理解して、プレイするのか、という問題になってしまいます。
 誰も遊ぶことができないルールが出来上がるのです。

 翻って、コンピューターゲームを見てみると、まずはチャレンジャーの時代、つまりファミコンの時代には、このようなヒットポイントによって死までの距離を表すのは、正しい選択のように思えます。
 なぜなら、ファミコン程度の処理能力では、その辺りまで思い切り抽象化しないと処理できないからです。
 ですが、プレイステーション3の時代のソフトであるダークソウルは、なぜ未だにヒットポイントによって死までの距離を表すのでしょうか。手首にあたったから、もう剣を持てないとしてもおかしくないような気が、へりくつに感染し始めると思えてきます。
 なぜだと思いますか?

 このヒットポイントとまったく同じような状況にあるのがお金だとわたしは思います。
 へりくつに考えると、たかだか200枚程度の福沢諭吉が印刷された紙切れで、アルミ合金の塊であるプリウスとが交換できるのはおかしい、こう考えることができます。
 日本銀行はその気になれば(ならないとは思いますが)、5000兆円でも、5京円でも諭吉を刷って、ヘリコプターからばらまくことができます。これだけあれば、たかだか1000兆円の国の借金であっても、返済はとても簡単です。印刷機をフル回転させて、儲かっちゃた、てへ、とでも言って、国庫に5000兆円を納めれば全て解決するはずだからです(ただし、ハイパーインフレになって、国民の資産が無価値になって、経済が崩壊しますが……。ジンバブエ状態に……)。
 お金は、すべての価値を、抽象化するものなのです。
 ホテルへの宿泊の価値に対する対価は、12000円。
 実に抽象的です。
 まるでヒットポイントです。
 お金は価値を抽象化する一種の指標であり、その親玉なのです。
 その抽象化する概念があまりにも便利なので、みんなで使っているだけなのです。そして、その抽象化概念を中心にして、あらゆるシステムが構築されているのです。
 だから、へりくつ屋を見ると、なんで抽象化の恩恵を受けようと思わないのだろうと、思ってしまうのです。そんなに深淵を歩きたいか、それとも深淵を歩いている格好をしたいのかと思ってしまうのです。
 深淵を歩いた経験がある身としては、そこは地獄だと、幻想が破壊された世界は、何もないと、思います。あわれな生物が60億体ぐらいある、どうでもいい世界です。土の中にバクテリアが60億匹あるのと等価です。
 そうじゃないと思えるのはなぜでしょうか?
 それが物語の力なのです。

 どうも、書ききれていないのですが、あんまり書きすぎると消化不良になりそうな気がしますので、この辺で。
 宿題としますw



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[hikaliのゲーム論](13)  法律はどう機能しているのだろう? 物語解析解説(後編part9)
[hikaliのゲーム論](12)  ゲーム≒ルール≒法律≒抽象化の仕方 物語解析解説(後編part8)
[hikaliのゲーム論](11) ふしぎなキリスト教 物語解析解説(後編part7)
[hikaliのゲーム論](10) 建築論、組織論 物語解析解説(後編part6)
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[hikaliのゲーム論](1)ストーリーを捨てなければ、物語はゲームにならない