[hikaliのゲーム論](2)ゲームとはなにか。それは「命令禁止」。


 [hikaliのゲーム論](1)ストーリーを捨てなければ、物語はゲームにならない


 こんばんわ。
 管理人のhikaliです。

 なんかよく分からないままに唐突に始まったストーリーゲーム論ですが(^_^; みなさまいかがお過ごしでしょうか。興味ないとかおっしゃる方、ちょっと待った! これは古典的な経済学に対する行動経済学だといえば興味ありませんか?

 本日のお話は、なんとなく法学っぽい話になって、それってゲームと関係があるの? という内容なのですが、これは基礎の基礎を話しているからなんです。
 本日から、3回ぐらいに渡っては物語解析という物語の分析方法で、わたしが以前連載していた分析手法の紹介がメイン。正確には物語の構造を作るために使う、静の物語解析の話。これを使うことによって、レゴブロックのように物語の構造を作ることができるようになります。
 そして結論として、それはやっていることがもろに「民法がどのように世界を見ているか」ですね・・・、となります。

 おそらくその次は、この静の物語解析を使って実際に物語構造を作る話になります。

 その次の回です。
 行動経済学に対応する動の物語解析、ようやっと、ではその物語構造を使って実際に、その物語構造をプレイしてみましょう。となります。
 そのときに出てくるのが、

 情報の開示順を操作することによって物語を統治していく

 というお話。これはTRPGが分かる人であれば、ああ、マスタリングの話ですね、と分かると思うのですが、ここまで来て、ようやっとゲームの話になります。この辺りでマスター権限とプレイヤー権限の話になり、FRBが金利の上げ下げをするのはFRBの権限、FRBはアメリカ国民に奉仕しているに過ぎない、という話が出てきます。

 ここまで来ると、一通り材料を見たことになり、また逆に戻って、では、動の物語解析を駆使することを想定して、物語構造を作ってみましょうと、またもとに戻っていきます。

 そしてたぶん話は、デッドロック解消ゲームと、いわゆるミステリーは動の物語解析視点で見ると、実は双子の兄弟みたいなもの(というかミステリーはデッドロック解消ゲームの一部)、という話になっていくと思うのです。

 さてというわけで、本日は静の物語解析の話。
 連載していた物語解析の中で、要素による解析と呼ばれているやつです。
 ちゃっちゃと説明を始めてしまいましょう。

 ■気が短い方はこちらをどうぞ。
 物語解析LOG
 http://story-fact.com/mk_log.php?shu=kmk&num=20



 ■前回のおさらい。
  逆に考えるんだ、支配するんじゃない、統治するんだ!


 さて前回は、ゲームはプレイヤーが主人公であり、そのプレイヤーが判断を楽しむためにあるのだから、物語がゲームとして成立するためには、そのストーリーに主人公の判断が反映されないことはありえない。
 つまりプレイがされるまでは、ストーリーは存在していないことになる。
 という話をしました。

 具体的にはこの部分です。

 物語をゲームにした時点で、理論的にはストーリーをコントロールできなくなるのです。
 逆に言えば、ストーリーを選ぶ権利をプレイヤーに委ねている以上、ストーリーを定める権利は作り手側にはないのです。
 ストーリーの押し付けは、プレイヤーの判断を楽しむ権利を奪うことになり、それはゲームではなくなってしまう。それは例えていえば、将棋の棋士に対して、次は7四歩でなければならないと言う事です。
 ゲームが崩壊します。
 一本道のストーリーを押し付ければ、たちまちストーリーゲームは崩壊するのです。

 つまり、ゲームブックを、プレイヤーに判断の楽しみを与える優れたゲームである、ゲームブックを作ろうと思えば、自然にストーリーを捨てなければならないのです。ストーリーを捨てなければ、物語はゲームにならないのです。


 この崩壊のデメリットは、物語を支配してしまう独裁者に成り下がり、

 この支配と統治の差は、
 支配的であればあるほど最大公約数に近づき、統治的であれば最小公倍数に近づく。
 とわたしは思っています。

 ここに集約します。
 たとえばプレイヤーが6、8、12だった場合、
 最大公約数=2、最小公倍数=24となります。
 ずいぶん違います。いかに支配することが良くない事だということがわかるでしょうか。

 もう少し具体的にいえば、事前のストーリーがあることは、ストーリー通りに物語が進まなければならないことを意味し、プレイヤーの発想や判断は意味がないということに等しい、でしょうか。


 ■物語のキャパシティーの理解がけっこう大事。
  登場人物1500人とか、読めますかw


 さて、物語をゲームにするためにはストーリーを捨てなければいけないことが分かりました。
 おっと、いきなり疑問が生まれましたか。
 物語=ストーリーなのではないか、ということですよね?
 なるほど、その疑問はもっともです。

 ですが、wikipediaのレベルでも、その違いが指摘されています。

 物語世界の中で起きている出来事が起った時間に沿って並べられたものがストーリーであるが、小説などの創作物の作者は、それら出来事の順序を入れ替えるなどして再構成する。


 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC

 わたしが便宜上、物語と呼んでいるものは、物語世界のことだと、たぶんそう理解すると一番分かりやすいかも知れません。
 物語の支配と統治の話を思い出してみてください。
 わたしは支配系統をストーリー、統治系統を物語と呼んでいます。
 また、物語が戦略であり、ストーリーは戦術であると書くと、その違いが分かる方もいるかもしれません。物語は物語世界の全体像であり、ストーリーはそれを使って作られたお話の流れです。
 もう少し砕けていえば、ストーリーはプレゼンであり、物語はそのプレゼンしなければならない物事(たとえば売り込みたいサービス)です。
 さらにいえば、物語は起こったことのすべて、ストーリーはそれをどの順番でなにを話すか、です。
 これで、だいぶ分かりやすくなったでしょうか。
 ゲームブックは物語だけれども、ストーリーではない。
 なぜなら、ストーリーはプレイヤーの判断と選択によって変わるからです。

 これは野球の実況に置き換えてみると分かりやすいでしょう。
 野球の実際のゲームは物語です。そして、実況がストーリーです。これはイコールでしょうか? イコールではありません。主従関係はどうなっているでしょうか? 物語が主であって、実況は従です。これがもし、ストーリーの都合上、物語であるゲームを捻じ曲げる必要があったとしたら?
 たとえば、天才的な実況者がいたとして、その人が、この7回裏の松井の打席は、ダルビッシュのストレートの三振で、しかも反則的なほど曲がるカーブが決まったときに恐ろしく盛り上がる、と判断し、松井が三振して、ダルビッシュが反則的なカーブを投げなければならないケースです。
 こんな野球は物理的には絶対にありえないのですが、こんな野球は見ないですよね。
 野球は当事者のゲームに委ねられています。
 そして野球は筋書きのないドラマです。
 筋書きがないほうが面白いとされているのです。

 また、事実は小説よりも奇なり、という言葉がありますが、小説が事実より奇であることなど100%ありえない、と思います。
 小説はたかだかひとりの貧弱な想像力が作った、貧弱な創作物です。すくなくともわたしが書く小説においては、わたしの中で納得のいくもの、の範囲を出ることはありません。予定調和の要素も含んでいるだろうと、想像します。これは考えてみると、恐ろしく当たり前なのですが、どうもこれとは逆の通説がまかり通っている。
 翻って、サッカーと分かりやすいので例に出すのですが、このゲームは、22人のフィールドプレイヤーの発想のほか、監督の発想もフィールド上には現れています。24人の発想対1人の発想ですから、当然に24人の発想がぶつかり合うゲームのほうが豊穣になるのは、当たり前というか、面白くないほうがおかしいのです。
 これが150人までなら、全員の顔と考えてることの把握が可能で、効率的な組織になるという研究成果がどこかにあったのですが、これが大企業の30万人、日本の人口の1億2千万人、全世界70億人となると、理解できず理不尽な、理由の分からないゲームになってしまい、面白くもなんともなくなるのです。
 なので、このキャパシティーを理解しつつ、物語を分解していくことになるのですが、かなり話が長引いてきたので、いったんここで切ることにしましょう。


 ■ゲームとはなにか。
  それは「命令禁止」。


 さて、このようにゲームというものを物語と絡めて突き詰めてきましたが、結局のところ、「プレイヤーが判断を楽しむためにあるもの」なのだから「判断をする自由を奪うな」から始まって、「ストーリーの押し付けは判断を奪う」で、これは「こうしないさいと命令するのに等しい」となり、「これは最小公倍数から、最大公約数への転落」であり、「独裁の中の、さらに支配的な独裁であり」、これは最低最悪の行為である、になるのですね・・・。
 それよりもプレイヤーの豊かな判断を物語に取り入れろ。
 この取り入れる方法が、静と動の物語解析なのです。

 で、このゲーム論は突き詰めていくと、あらゆる既成の組織を全否定してしまうのですね・・・。なんたって、命令禁止、なわけですから・・・。
 ついでに言うと、攻略法が生み出された瞬間に判断がなくなってしまいますので、マニュアルも禁止され、学校というか学問全般も基本的には禁止になるという、もう少し突っ込んでいえば特許法ライクな学問以外は学問ではなく価値はない、になっていくのですね・・・。
 これはすべては市場に任せろという市場主義にかなり近い。
 で、完全な自由主義の中で、どう物語をコントロールしていくかが、情報を出す順番になるわけです。これはいわばFRBがどういうメッセージを市場に出すかで市場が動いていくのとほぼ同じです。
 そのメッセージの出し方、つまり金融政策に近似したものが、動の物語解析になるのです。

 なんだか濃い話な上に具体的な話が出てきてませんが、話す内容は物語解析で、もうすでに書いていることなので、気短な方はこちらをご参照に。

 ■気が短い方はこちらをどうぞ。
 物語解析LOG
 http://story-fact.com/mk_log.php?shu=kmk&num=20


 以上、ながながとお疲れ様でした!
 次回から、たぶん二回になると思いますが、静の物語解析を、最新のトピックを交えながら、書いていこうと思います。

 [hikaliのゲーム論](1)ストーリーを捨てなければ、物語はゲームにならない



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